我が家の入り口でエビネに囲まれている道祖神。道祖神はいくら気に入ってもその辺にあるのを勝手に持ってくれば泥棒だから、勿論これは9年ほど前に購入したもの。岩手の石工でお地蔵さんなどを彫っている方に依頼して作ってもらった。できあがるのに半年ほど待ったが、とても愛らしく、すぐに周りに溶け込んでしまった。
数年前に沖縄旅行した時、竹富島で、屋根の上に飾られたシーサーを見た。魔除けと言うことなのだろうか、あちこちで見かけた。後からお土産に欲しくなって、帰る頃、那覇の土産物店で色々なお土産用のシーサーを見たが、どれも気に入らなくて、竹富島の観光案内所にあった竹富島オリジナルの小さな素朴なレプリカのシーサーが欲しくて、沖縄旅行する人に頼んで買ってきてもらったのがこれ。
そういえば、昔は、屋根の上や玄関先に魔除けや様々なものが飾られていたのだ。そんなものは迷信に過ぎないから、近頃の家やましてやマンションには入り口や玄関にそのようなものは置かれていない。けれど、迷信かどうかなんてことはどうでも良いことで、お祭りでも占いでも人が願を掛けたり、憂いを取り除きたいと思ったりする気持ちは古今東西共通だろう。それを形にしたものが文化だとすれば、そういうものを排除したり、受け継がないというのはなんだか寂しいものだ。形がなくなれば心もなくなる(と言うか気がつかない)ということもあるだろう。近頃は表札も出さない、個人情報を守る?みたいのもちょくちょく見かける。物騒な世の中だから仕方ないかも知れないが、やり過ぎという感じもするし、それならそれで住む人のその人らしい風情を感じさせ、通る人やその地域に柔らかいメッセージを送る別の工夫をしたらどうかと思う。
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