先日、年に1度のチェロの会がありました。プロの方も参加して下さって、皆で演奏したりレッスンを受けたりして、今回も沢山の事を教わりましたが、ボーイング、弓の返しなどについて「何もしない」と言ってらっしゃいましたが、反抗するつもりはありませんが、私はプロの方の何もしないとか、力を抜く、重みで弾く、などという言葉は信用していないのです。というか、いつもいつもそう心がけるようにはしているので、それなりに進歩もしているつもりですが、練習としてはそれでどういう練習をするのかは見えてきません。
{ま、弓の返しの時に何もしないというのは、何かこそくなテクニックや特別な工夫はしないという意味で、動きが180度変わるのに本当に何もないと言うことではないでしょう。何もないかのように何かをするというのが正確でしょう}
力を抜く、といわれて力が抜けて演奏出来るなら簡単ですが、そういうことにはならない、何故だろうかと考えると、力を抜くというのは、余計な力を抜く、という意味だし、他の人はどうか知りませんが、私は、余計でない核心的筋力?バランス力?が足りないと思います。それは見えない筋力であり、弓をスイートスポットで弦に当てる微妙なバランスの一点に支える筋力であり感覚です。上手な人は長年それを鍛え抜いて必要最小限の力で全体のバランスを保ち狙いの一点に集中させているのだと思います。な事が想像出来ても実際にどうしたらそうなるのか・・その1つの方法として私が考えたのが、指の屈伸を練習の時にしてみること。指の柔軟性です。プロの方の様子を見ていても何をしているのか分かりません。何もしないように見えます。演奏という不自然なことが自然に出来ているように見えます。ただコンピューターと機械で音を出すレベルでなく微妙な心の機微を伝えニュアンスのある音を作り出すのは繊細な動き、内部のほんのわずかの動きなのだと思います。それすらない、何もしない、なんてことは絶対にないと思います。何もするつもりもなくても食べ物が胃に入れば自然に消化活動をするし、努力して胃を動かすなんて事は出来ないけど、だからといって何もしていない等というのは嘘か、分かってないだけ。
ストレスで不眠とか言う人の治療法の1つに全身弛緩リラックス法?というのがあります。寝て、まず、全身に力を入れる、手足の指先まで。それから、指の先から段々力を抜いていく。その時の緩む感覚をよく感じるようにする。指、腕、肩 ふくらはぎ、もも・・・と順番に。再び力を入れてゆっくり順番に力を抜いていく。これを3回ほど繰り返すと、かなり脱力して楽になります。つまり、眠れないと言う時は体のどこかに力が入っていて気持ちもリラックス出来ない。だから心のリラックスのために体を硬くしてそれを緩めていきその感覚を心に伝えるというわけ。この方法をチェロに取り入れることも出来ます。1つは深呼吸をすること、等です。
一般的にある問題があるとき、その一点に固執して意識すると悪循環を起こすことがあります。むしろ遠い全く関係ない事をやることで肝心の問題が解決してしまうことがあります。フレーズをつなげてレガートでふくよかに弾きたいと思って、だから弓の返しをスムーズに柔らかくきれいにしたいと思って手首をグニャグニャしようとすると結果は悲惨です。むしろ、手首は固定して、肩甲骨から腕全体大きな腕で弾くように心がけると嬉しいほど効果があったりします。これを人間でなく機械や棒っきれでやろうとしたらどういう装置を作るか考えると、多分、手首の部分は固定しても指の部分を柔軟に作るでしょう。機械は大概そういうところにゴムやクッションを使います。骨格なら軟骨がそれに当たるのでしょうか。
プロの方が無意識でやっていて言語化・可視化出来ないことを、客観的物理的に練習法として考えたい、個人的にやるだけのことで人には勧めませんが・・
弓を縦に持って尺取り虫のように指を動かして弓を上下させるのは、よくある練習法で、これで、必要な筋力とバランス感覚を身につける方法です。もし何もしないで良いのならこんな練習をする必要はありません。だから何もしないという意味は、何も意識しなくて出来るくらい身につけたという意味でしょう。ま、憎たらしい言い方と言えるでしょう(^_^)
基本の基本は体と道具をなじませること。サッカーで言う基本のリフティング練習で、これでボールが足になじみ、まとわりつくようなドリブルも可能になっていく。演奏中に指の屈伸をしたりするのもそれと似ています。これはあくまで練習ですが、実際の演奏中には、柔軟に指(というよりその内部)がわずかに動いてバランスをとったり重みを変えたり無意識に動いて弓をスムーズに使えるようにするのが目的です。演奏しながら弓に添える指を変えていくという練習もありますがそれも同じような趣旨でしょう。これが万人に役に立つのか、そもそも有用なのか保証しませんが、個人的には細かいことは考えずに弾けるようになるので気が楽になっています。「何もしない」で、「腕全体で」弾いても、見えない細かい調製は自然に指が行うだろうと思います(という風に信じられる)。そういう能力がそもそも潜在能力として指になければ自然に何もしないで上手くいくなんて事はないと思います。最初は意図的にやっていてやがてそれが溶けて消えてしまうのが最終目的。こう言っちゃ、身も蓋もないですが、そもそもこんな事やらなくても良い音を心がけて沢山練習したら自然に身につくとは思います。
でも、梅ジュースを作るのと一緒で、梅と砂糖を一緒にしておけば、何もしなくても自然にいつか砂糖は溶けて透明になります。だけど、時々揺すったり逆さまにしたりしたら早くできあがるでしょう。そういうこと・・??
私の考えることがたとえ間違っていても害はありません。少なくとも老化防止にはなります。
グジャグジャ書きましたが、本当は、だから、そもそもレッスンの言葉で、伝わるものではなく 全身全霊でその音を聴き姿を見る、それで何かをつかんでいく、イメージトレーニングすると言うことしかないと思います。
・・ま、言ってることが矛盾することになりますが(^^;)
コメント