とは言っても、これだけの背丈だと台風の大風の度に途中から折れてしまう。3年前から支柱を立てておくがそれでも、5本のうち2本は折れる。でも、少しでも皮がつながっていれば、ガムテープで巻いて、上から竹を割ったものでギブスを作って紐でぐるぐる巻きにして支柱にくくりつけておくと、ちゃんと成長を続けて花を咲かせる。一番右のがそれ。強い花だ。完全に折れてしまったものでも、切って地中に挿し木しておくと、また新たに芽を出している。
関係ないけど、私のチェロも古いイタリア製で満身創痍。中を開ければ見るも無惨につぎはぎだらけ、弱い所は裏から布を当てて膠で固めていたり、今のところ安定しているが、年に1度はどこか剥がれたりしている。若くて健康な楽器に憧れる。しかし、まぁこのまま連れ添ってもらうしかないだろう。これが歴史というものか。歴史とは亡き子を偲ぶ母親のようなものと誰かが言っていた。小林秀雄かな・・。愛情の詰まった思い出だ。
弦楽器は、長い時を超え、多くの国と人とにつながれて歌い続ける楽器だ。使い捨てにして良いものではないし、大切にしなくては。
歳をとると、「時」と言うことを考える。血縁のルーツを探るようになる年寄りもいるらしいが、私は人の生きた「時」のつながりに関心がある。遺伝子的な繋がりに私を発見することより、精神的な命の繋がりの中に私がいると思う。
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