私がヘッセに出会ったのは中学の時に読んだ「デミアン」だった。そして高校生の頃読んだ「シッダールタ」(手塚富雄訳)は私の愛読書になった。他の本を読むよりこの本を繰り返し読んだ。高校では第2外国語で、ヘッセを読むためにドイツ語を専修した。やがて、ドイツ語の原書を購入して、半分ほど読んだが、語学力が乏しいので、原書で読む意味はなかった(^^;) しかし、気になる言葉を直に目にするのは嬉しいものだ。この文庫は、革で装丁して大事にしていたが、本そのものはボロボロだ。表紙に書いたドイツ語は、遊女カマラにあなたは何が出来るの?と問われて答えた言葉。Ich kann denken. Ich kann warten. Ich kann fasten. 「私は考えることが出来る、待つことが出来る、断食することが出来る」
先日、40年ぶりくらいに歌舞伎町界隈を歩いて高校時代を思い出した。それで、何故か、「シッダールタ」を思い出したのだ。長いこと読んでいなかったが、こういう本は、歳を重ねるに従って読み方も変わるものだ。昔なら若い頃のシッダールタに焦点が合っていて、川にたたずむ孤独な老人のことなどピンとくるようなものはない。だから、今、ちゃんと読んでみたい。
昔から、私は、色んなものを読んだり聞いたりすることより1つの本1つの曲を何度も何度も聴くことが好きだ。好奇心に乏しいというか、音楽では、大学生の頃ブラームスの交響曲第一番を(フルトヴェングラー指揮)何度も何度も聴き続けた。何故そんなに惹かれたのかはいまだに分からない。と言っても良いのは4楽章前半まで、4楽章の後半は好きでないというか、あんまり沢山聴きすぎたのか、この曲はインチキだと悟った。ニーチェがブラームスをけちょんけちょんに評したのは、一部当たっていると思う。ニーチェについてはブラームスも反論しないが、ブラームスは自分で自分のことは分かっていたと思う。ブラームスが真価を発揮したのは晩年、クラリネット曲やピアノ小品を書いた辺りだと思っている。もちろん私の言うのは「個人的感想」と言うやつで、好き嫌いを言っているに過ぎない。
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