今日は、8年前の東北大震災のあった日。地震の起きた時刻、近くのお寺では鐘が突かれ、読経があったようだ。昨夕は、別の近くの寺で宗派を問わず宗教者や一般人も加わって法要が営まれた。あのときのことは忘れない。原宿は表参道から鎌倉まで車で延々7時間。途中、歩道には沢山の人が歩いていてどうしてなのか分からなかった。信号は消え、商店も閉まっていた。その後から、原発事故、この世の終わりかと思った。その後、日本の原発は安全だとか言って輸出の目玉にしようという人たちがいるのだから頭が狂っている。何が正しく何が間違っているかは理屈ではない、まとまな人間なら瞬時に浮かぶことだ。まっとうな判断も出来ないような人たちがリーダーになっているのが今の世界。共通しているのは我欲に目がくらんでいること。
衆生無辺誓願度、煩悩無尽誓願断・・
災害から身を守る備えは大切だが、あのとき多くの人が自然に反省したことはもっと別のことだったのではないだろうか。文明というもの、便利さと言うこと、本当は何が大切なのか・・それを考えさせられたように思う。「原子力村」の実態が暴露され、空前の原発反対デモが起きた。マスコミを牛耳る電気業界やそれにつながる政治家や何やら、こうした構図は昔からのもの。被災者の心に寄り添うだの沖縄に寄り添うだの心にもないことを平然と言ってのける蛙の面に小便の総理、太平洋戦争で満州で沖縄で何が起きたかを知れば、とうてい政治家や権力を持つものに任せて安心なんて事はないことはよく分かる。震災のことを忘れないというのは被災者支援というようなことだけではない筈。
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