ワイピーエムレーベル 原口摩純/ピアノ「ウィンナ・ピアノ」
この時期のおすすめCDとして、ブラームスの後期ピアノ小品集を紹介しておきましたが、この曲では色々の演奏を聴いていますが、録音自体が感心しないものが多いです。そこで、間奏曲作品118-2だけですが、このベーゼンドルファーの音を聴いてみてください。
ところで、大概の方は大きなコンサート会場で演奏を聴くことが多く、実際の生の楽器の音を聞く機会は少ないと思います。・・
私は自分でへたくそなチェロを弾くし、幸運にも演奏家の方が見えることも多く、間近で演奏を聴く機会が普通の人より多いと思います。すると、演奏会場での音は全然まともに楽器の音がしていないことがわかります。だから、家でCDでも聴いている方がよいと思ってしまいます。そのCDにしても、どういうつもりで作っているのかそれぞれプロデューサーによって考えが違いこれまた別もの。「原音再生」とかいいますが、なかなか容易なことではありません。
昔、チェロの手ほどきを受けた故佐藤良雄先生(カザルスの最初の日本人弟子)は、そんな話をしたところ、原音を聴きたければ一生懸命練習しなさい。それが間違いない原音だから。というようなことを言われました。は、はぁ〜(^^)
それはともかく、ピアノがすぐそばで演奏家が聴いているような風に聴けたら一番良いのでしょう。この原口さんの演奏はそんな風に聴けます。楽器本来の音、演奏家が実際に出している音を聴くことに留意したCDは、他にもあります。
特にブラームス晩年のこの曲は、静かに音に沈潜してブラームスの傍らでその演奏を聴くようにして聴きたい。それは無饗室ではなく豊かな自然の音に囲まれた静けさの中で透明に響くピアノの音色、でしょう。
良い音とは何か、in silvis viva silui, canora iam mortua cano というペンションセロのマークの元になっているラテン語の言葉を翻訳するとき canoraをどう訳すか考えました。カナリアのような良い声で、という意味ですが、言い換えると何だろう・・それで「澄んだ」と意訳しました。それは、宮沢賢治が好んだ言葉でもあります。すきとほった風。フランスの哲学者ベルグソンはその講演の中で、広い会場で真実を伝えるためには何が必要か、それは小さいけれど澄んだ声だと言っています。
本当の音が聴きたければ、もうその意味では演奏会場にいく必要はないでしょう。私が知っている本物より良い音は残念ながらどんな演奏会場でもするはずがないから。・・1度だけ例外がありました。チェロのトルトゥリエが、昔(日本で2回目?)、東京文化会館で行った演奏会、私は当時北海道に住んでいましたが、はるばる聴きにいったものです。それは、6階くらいの遠い席でしたが、レコードで知っていたその音がまっすぐ届いたのです。それは驚きでした。その音は透明で強く柔らかい紛れもないトルトゥリエの音です。後からトルトゥリエの高弟である倉田澄子さんから聞いた話では,彼は大きな会場の最上階にいる聴衆にも音楽が届くようにと練習もし,工夫も(エンドピンを曲げて楽器が平になるようにした)していたとのことでした。楽器の音色は演奏者の強い意志の表れなのでした。長くなるので,この辺で
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