くそ忙しいこの時期に考える事ではないが、靖国参拝をめぐっての世論調査の結果などを見ていると、近隣諸国からやいのやいの言われると、それが面白くないから参拝賛成と言う風に傾いているような印象を受ける。
これでは、4月におきた中国での反日デモで、日本の商店などに投石したり、日本大使館に投石したりする狼藉ものと変わらない愛国心の発露と言うべきではないだろうか。つまり、それと同じ低レベルであるということ。
本当は国家とは何かと言う難しい了解しがたい問題を考えるのが筋と思うが、そんなこと考えている暇は無いので、日常的、感覚的に見ると。自尊心、プライドと言う事については大きく2種類があり、それを愛国心と言う事にも当てはめれば、少し理解が進むように思う。
つまり、自尊心には、間違った自尊心と正しい自尊心がある。
間違った自尊心とは、自分は偉い、自分は他より優れていると盲信する事に発するもの。(何故間違っているかと言うと、当の本人の成長にも、社会の発展にも益より害の方が大きいから)
正しい自尊心とは、自分を大切にしよう、世間に対して恥じない自分であろうとするもの。実際には、どういう形で表れるかと言うと,
「こうであってはならない」という禁止の形をとる。良心は常に、禁止の形をとるものだ、聖書の十戒のように「汝・・すべからず」と。
私は、人間としてこのような事はできない、一流の音楽家としてこのような事はできない、職人の誇りにかけてそれはできない、日本人としてこのような事はできない、・・・・「答えはノーだ」という、それがプライドと言うものだ(この根本は親の厳しいしつけがある)。禁止は否定のようだが、実際には新たな力を呼び起こして人間をより高く成長させるものだ。正しい自尊心を持つ事は、だから、成長のために大切なことだし、そういう人は社会的にも大きな業績をあげる。
(30年以上も昔だが、Scienceと言う権威あるアメリカの科学雑誌に、社会的に高い業績をあげた人間の出生順位について研究した心理学の論文があり、その中で、結論として自尊心の高さと相関関係がある事が述べられていた。私の記憶が確かならば、その論旨は以下であった。
社会的に優れた業績をあげる人間には長男長女が多い。で、第二子以下との性格上の違いは、自尊心の高さである。その自尊心は親の厳しいしつけによって作られる。つまり、小さい頃から社会的に善と見なされる行動形式を教え込まれた子供は、(自分の行動が社会の称賛を浴びる環境の中で成長するので)自信を持ってその能力を伸ばして行く事ができる。
これは分かりやすく納得しやすい結論であるが、示唆に富んでいる。親がしつけを放棄し、あるいはできずに、何でもありの状態で子供を育てれば、子供は大変不安定な状況の中で成長しなければならない。それが、現代のさまざまな社会問題の原因であるかも知れない。
間違った自尊心は、禁止するより、自分勝手な行動を肯定し、主張し、鼓舞する。俺は偉い、人にやいのやいの批判されたくない・・・自分の心の中をのぞこうとするよりは、周囲の声に敏感で、、多くの動物がやるように、危機に際して実際より大きく自分を見せようと、体を膨らませ、大声を出して相手を威嚇する。間違った自尊心では、自分は偉い、(他より)尊ばれるべきであると主張する。だが、何をもってか・・・何でも良いのである。将棋のプロの勝負の世界では、常に自分は相手より強いと自己暗示に掛けるそうだ。俺は今日はあいつより爪が長い、だから俺の方が偉い・・でも何でも良い。要は、俺が偉いと言う事を言えれば良い。命を懸けて戦う者にはそれも必要な事だろう。しかし、それは一種の異常心理であろう。
政治家が、その国民を自分の意のままに利用しようとすると、必ず、敵を作り出し、対抗的に愛国心を駆り立てる。その愛国心とは間違った種類の愛国心である。バーナードショーは愛国心を「その国に生まれたと言うだけで他より優れていると思う心」と定義している。内容のない間違った自尊心や愛国心は非常にもろいもので、他からの圧力や情報操作で、「愛国心があるなら○○すべきだ」などと、自分の寄って立つ所など関係なくどうにでもなるものだ。靖国神社がある人々にとっては掛け替えがないと言うのは理解できるし、毎年参拝している人たちの敬けんな気持ちはそういうものとしては尊重するが、自分自身1度も参拝もしないし、心の奥に何も持たない人たちが、靖国神社の性格も知らずに、アジア諸国からの非難に対抗する形で、首相が参拝すべきだ、主義(?)を貫くべきだ、余計なお世話だ・・・などと反撥するとしたら、それが本当の愛国心から自然に出るものか、政治家の仕掛けた大衆扇動、群集心理のワナにはまっているだけなのか、問うて見るべきではないだろうか。
正しい自尊心は決して人を傷つけない、正しい愛国心も決して他の国の人々を傷つける事はないだろう。
と、もう今日は眠いので、ここまで
たまたま他のブログ「愛国心教育、8割が必要と回答」にコメントしたものを転載しておきます。
「たまたまお邪魔しました。
アンケートなんてどうにでも操作できますのであまり信頼は置けませんが、嘘も何度も重ねれば真実味を帯びてくる理屈です。靖国神社に参拝することが愛国心の発露と考えますか?と質問したらどうなるんだろう。
中国の愛国運動を見て素晴らしいとは思えませんね。排他的なナショナリズムであり、政治的に利用されているから。では、日本に誇りを持てるようにする、っていう意味でならどうだ、となればそれだけなら反対する人はいないでしょう。でも、これは言葉だけの言い回しだけの問題ではないでしょうか。
「親孝行はすべきでしょうか」という質問をしたら、なんと答えるか、半分はNOと言うでしょう。では、「あなたは親に親切にしたいですか?」と聞けば8割くらいはYes と言うかもしれません。
どっちにしろ、この国の伝統・文化・自然についてもっと知るべきだと私は思います。そういう知識や体験の乏しい状況で愛国心教育って言っても中身が無いですね。
自尊心が必要というのは当然ですが、自尊心にも2通りあります。自分を大切にすると言う意味と、自分は偉いと他を排斥するもの。現在の精神風土で愛国心
教育というものが政治的意図で行われた場合どうなるでしょうか。愛することは知ること、より深く知れば自然に愛するようになります。だから、一般教育と愛
国心教育は決して矛盾するものではないと思いますが。それ以前に受験一辺倒のこの国の「教育」が問題。
柔らかく考えたいのでいろんなことを書きますが、つまり愛国心教育はその中身が問題で、愛国心を持つべきでないとか持つべきだとかは議論にはなりません。政治家は素直に国民が国を信頼し国を愛せるように身を正すのが先決(これができないでしょう(^^))
それともっと日常的に普通に話題になるレベルで言えば、海外留学すると必ずその国の人から日本のことを尋ねられますが、殆どの人はそれに答えられない。
日本の伝統文化風習について説明できない。それが何より恥ずかしい事だと聞きます。箸の正しい持ち方だって外国人の方がきちんと持てますしね。そういう視点から見て行くと無闇に議論になったり「よく知らないのに書くな」とかおかしな話にはならず明るく愛国心と言うか日本のことを考えられるのではないでしょ
うか。
コメント受け付けて居るんですね。(^_^)
その「正しい自尊心」
国(指導者と言い換えても良い)にこそ持って欲しいと思うんです。
「国民を戦渦に遭わせることは出来ない」と。
そういう国なら愛しちゃうんだけどなぁ。
投稿情報: くまぱぱ | 2005-08-13 23:54
はろはろ くまぱぱさん
さよで。政治の場合、これはこれこれの条件でする、これはしない、これは絶対にしない・・などと言う事がきちんといわれ守られると言うのが第一歩ですよね。これがでたらめ(と言うより、結局、内外政策を問わず、アメリカに有利なら断行する、アメリカに逆らう事はしない)なのが現在の日本。
ついでに「自虐的歴史観」というのは、つまり間違った自尊心を持つものには批判は自虐的となるわけです。常に自分は正しく周りが間違っていると考える。世界中の国がそうやるとしても、そういう子供っぽい正当性を主張する事で何が得られるのでしょう。
時代は今や、地球規模の問題が差し迫っているのではないでしょうか。
投稿情報: goshu | 2005-08-14 13:12