今の大学生の事は知らないが、3,40年前学生運動盛んな頃の大学は、概してまじめな学生が多かった。まじめとは、学生の本分である、探求心、勉学心に燃えていると言うほどの意味である。私は付属高校から大学に進学したので受験勉強をしなかった。高校の時は自由に遊んでいたので(具体的には、ギターを弾き本を読む事だけに熱中していた)、大学に入ってからは遊ぶ気などさらさら無く、何かを学ぶ事に喜びを感じていた。
教養課程では、雑多な学生と知りあった。いわゆる遊びやお喋りをする仲間はいなくて、もっぱら、音楽の事や、いろいろな思想家、作家などの情報交換をする事が多かった。小林秀雄、バートランドラッセル、などそれまで聞いた事も無かった名前とその本を知ったのは級友のおかげである。訳も分からないまま、マルクスの「商品論」なるものもほんの少しだけかじった。(その時の仲間3人の内の1人は、東大の安田講堂で逮捕された(^_^;)1人は評論家になっている。もう1人は学者だ。私以外は皆良く勉強していて、無闇に過激だったわけでなく、経済学の話以外では、詩人をめぐって論争をしたりしていて私にはちんぷんかんぷんだった(^_^;))
さて、学生の間ではどの授業が面白い、と言う情報が流通していて、単位と関係ない他学部の講義など受けるのもそれほど変わった事ではなかった。評判を聞きつけては、あちこち出掛けたものだ。劣等生だった高校までの勉強と違って大学の勉強は大変楽しいものだった。覚える事より考える事、違った世界を知る喜びがあったからだ。苦しい受験を過ぎて大学に入ったら遊んでやろうと言う学生もいたと思うが、私の場合は、そんなものはとっくに卒業して勉強する事が楽しかった。
その中でも圧倒的な人気だったのは文学部の川原栄峰先生の哲学の講義だった。最初の授業の後4月末、噂は教室中に広がり、私も早速聴きに行った。授業は午後一時からだが、101という大講堂には立ち見が常にいたほどで、午前の授業が終わるとまずその講義のある101教室に行き座る場所を確保してから食事にでたものである。その当時、哲学の授業は学生たちの一番の関心事だったのだ。それだけでなく、先生の講義が学生を惹き付けて離さない名講義だったのだ。私は同じ講義を2年間聴講した。
『時の峰々』と言う本を読むと、当時先生がどんなことを考え、どんな工夫をしていたかその裏側が分かる。分かるとなおさら当時の自分が恥ずかしい。(^_^;) 本に書かれている「学生の低さ」と言われると、おっしゃる通りでございますとただ恥じ入るしかない。
部活は、始めは「古美術研究会」というところに入っていたが、やがて、川原先生に惹かれて碧稲会という先生が顧問をされていたクラブに入った。そして、毎週一回の論語の読書会や、講義の後文学部から研究室までかばん持ち(!)をして歩きながら先生の一言一言を注意深く聞いていた。「三歩下がって師の影を踏まず」と言う言葉があるが、狭い道にたくさんの学生がいるのだから3歩は下がれないが、気持ちは、そんな距離を感じていた。日常的な場面でつぶやく一言に意外な発見や知恵があるかも知れない。失礼でない距離を保ってしかもそれを聞き逃さない、それがその距離感である。
ともかく、大学に入って一番良かったのは、良き師と出逢った事である。その影響は大変大きなもので、門前の小僧習わぬ経を読む、で、今当然のようにやっている事や考え方の基本は、いつか自然にその当時学んだものだと思う。
(つづく)
セロさん、こんにちは。
・・・って、「古美術研究会」だったんですかっ?
会社でとてもよく面倒を見てくださる方がやはり
そこの出身です。ちなみに、うちの会社の
社長の奥さまも「古美術研究会」だったはず。
重なってたら面白いなあー。
話は変わり、、、
真面目に真摯にレッスンを受けていらして
本当に素晴らしいですね。私はレッスンに
行かず弾き散らかしているので、そろそろ
基本に戻らねばと思っているところです…。
投稿情報: がんきち | 2005-09-29 10:49
がんきちさん こんばんは
長ったらしいくどい文章を読んでいただいて恐縮です。(^_^;)
古美研の先輩かも、きっとかぶってますね、年代的に でも、私は2年までの在籍で、それに、庭園班と言うマイナーな分野の所属だったので覚えていないかも。今も名簿が毎年送られてくるので、見たら分かるかも・・
がんきちさんはドイツでびっちし基礎をやってきていまじゃバッハの6番でしょう?すごいなぁ、すごすぎる!
投稿情報: goshu | 2005-09-29 18:24
「庭園班」なんてのがあるんですね。
確か、私の知り合いは「仏像」ではなかったかと。
ドイツでびっちし基礎を・・・
すでに、遠い過去のことになりつつあります(^^;)。
6番だって、さらうだけなら誰でもできる!
ものにできるかは別問題です・・・とほほ。
6番だともう緊張感に耐えられないので、
つい「C-Durの音階練習になるし♪」などと
3番に逃げてしまいます。
基礎練、本当にやらなきゃダメですよね。
やっと重い腰をあげて、ドイツでやっていた
基礎練一通りのコピーを出してきて、
やってみました。弾けなくなってました・・・。
投稿情報: がんきち | 2005-10-03 13:38