今日も塗り薬を張り替えただけ、脇の横だけで良いと言うことになった。が、具合としては変わらない。夜食事の後片付けをしていてもしんどい。これは、病気のせいと言うより、2週間以上左半身は安静状態にしているので、筋力が衰えているからだろう。
あぁ、これじゃ、チェロなんて当分弾けそうもない。
そんな状態ではあったが、昨日は、上京して、夜、デジタルコンテンツの研究会に参加し、懇親会にも出て、戻ったのは夜11時半頃。
時代の進歩は著しい。インターネットを始めたのが1996年4月。7月には独自ドメインを取得。我が家にライブカメラが導入されたのが2000年。莫大な経費を払って常時接続環境も整えた。今では実にお手軽な値段と装置で、各家庭、各端末が放送局の役目を果たせるようになった。環境は大きく変わったが、人間の頭やシステムは以前のまま。ただただ競争原理が加速し、アメリカ流市場主義(共産主義が自然でも必然でもないように、これも必然でも真実でもなく1つの思想・思惑に過ぎない)が世界を席巻していくだけの、猛獣と人間が同じレベルの弱肉強食のサバンナ状況になるのでは人類の進歩とは言えない。新しい時代、新しい状況の中で、古い状況を前提にした誤った習慣はチェックされなくてはいけないはず。人間がより人間らしい暮らしを目指すのにデジタル化はなんの役に立つのか。弊害も沢山生まれているはず、特に子供教育、生育環境には問題があるはず。「世界ぜんたいが幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(宮沢賢治「農民芸術概論綱要」)・・言葉自体は大げさかもしれないが、ちょっと待てよ、と考え直す機会にはなる。
地球を大災害に晒すような事態に追いやったのは人間の無明だが、今、遅かったとはいえ、温暖化の問題を提起し世界を動かすようになったのは素晴らしい人間の英知である。同じように、デジタル社会の様々な利点やそれによって起きる産業や金儲けの構造やら、そして生まれる格差や様々な不幸・・こうしたものをただしてあるべき未来を描き出す英知が、そろそろ芽生えても良い気がする。デジタル技術で、便利になると言うだけでは意味がないのである。コンビニが便利だというのはバカな人間の証拠かもしれないのだから。便利とは何か、何故そんな事が便利だと感じるのか、そうなっている暮らしや社会の構造は本当に人間の幸せに貢献しているのか。
少なくとも私は、健康でいられれば残りの20年、個人的に楽しいと言うだけでなくなるべく沢山の人の本当の幸せを求めて生活してみたい・・
こんな事言ってないでさっさと寝ないといつまでたっても病気が良くならない(^^;)
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