私の作っている富士登山お助けサイト「後悔しない富士登山」がもうすぐ250万アクセスに達する。このサイト作りでは多くのことを学んだ。
「後悔しない富士登山」(3776.jp)は、googleで「富士登山」の検索語で2番目にランクされてるし、多くの人の役に立つことを目指して作ったので、現在250万近いアクセスで単純に嬉しいです。姑息なSEOとか、どこかにリンクしてもらうとか宣伝するとかアクセスを増やすための努力は何もしていません。だから、最初の頃はgoogleの検索でもなかなか出て来ませんでした。アクセス数だけではなく、多くの方に喜んでもらってリンクしていただいているらしいのがランクアップの原因でしょう。
生まれてはじめて富士登山をしたのが今から10年前。出たばかりの35万画素のデジカメを持って登り、下山後直ちに作ったサイト。まだ、インターネットの黎明期、そこで、私が学んだことは・・
1)狭くて深い個人の体験が、共有されて広がるのがインターネット。
私がいきなり富士登山のガイドをするホームページを作ろうと思った原因は、登山前に、調べた限り参考になるサイトも本もなかったからだ。だいたい、山岳の本などは本当に登ったのかと思うような内容のものも少なくない。観光ガイド的なものなど知ったかぶりで全く内容がない。本当に知りたいこと、それは、富士山のデータではなく、そもそも初めての登山が富士山と言う人が少なくないので、その不安に微に入り細にわたって答えること。
そこで、率直になるべくリアルに(そして、登山後学んだことを注釈に入れながら)体験を書いた。
で、これはいきなりYahoo!Japanから連絡があり、すぐに「今週のお勧めサイト」として取り上げられ、その日にいきなり7000のアクセスがあった。これには驚いたが、続いて、次々と前に登った人やこれから登る人などからメールが来た。感謝のメールも多かった。ベテランを差し置いてどうしてこんな素人の体験談にこんなに反応があるのか・・。
一般的なガイドでなく(それも必要だが)、本当に知りたいことが書いてある、何より、つらい体験をしたもの同士の共感がある・・それが富士登山の一番おいしいところなのかも。
世界宗教と言われるキリスト教にしても仏教にしても、マスコミによる宣伝などはしていない。ただ、数人の弟子に直に伝えたことが次第に同じようにして広がって行ったのだ。1対1で直にキチンと伝わることが大切なことで、それが最も確実な広がり方なのだ。喜びと悲しみや苦しみを共にする、それを伝えることがインターネットの本質であると思った。SEOとか様々なテクニックとかが発達したがそんなものは姑息な手段であり、それで自分を目立たせようなどとはみじめなことだ。物事はすべからく本質を追究すべきだ。なるべく狭いところ、特殊なことを追求するとそれがやがて大きな広がりになる、大事なことは、本当に内容があるか、吟味されているか・・と言うこと。深く共感できることが大切で、多くの人が分かると言うことが大事なのではないということ。
2)そして、肝心なのは、答えは1つではないと言うこと。様々な内的・外的条件が異なり、それに一発で答えることはできない。どうして、それに1人で答えることができるだろうか。だから、実際に登った初心者の率直な感想を集めて編集することにした。「皆様の体験記」である。
これは大きな反響があり、他のサイトでも真似をするようになった(^^)。けれど、これはアクセスを増やすためではなく、このこと自体が富士登山という体験の本質だからだ。苦労して富士登山をした人は、必ずそのことを語らずにはいられない。初めて会っても苦労して登ったと知っただけでもう仲間である。あとから登る人にも伝えたいし応援したいと思う。その場を提供しているのである。
深い体験の共感と共有、それがなくて人に何かを伝えることはできない。
けれど、6年間は毎年のように登ったが、もう長いこと富士山には登っていない。80、90でも登る人がいるが、今この歳になってそれがすごいことだと分かる。こんな調子では80まで生きる元気はないなぁ・・
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