「社会貢献にはまる若者たち」 という記事がありました。世の中のトレンドが少しづつ変わっていると言うことだそうで。大切なのは「誇り」・・?・・そうかな・・
儲かれば何でも良い風潮が蔓延していると思っていたら、別の動きも・・。
ごく身近に「世界規模の社会貢献」というのを人生の目的にしようという人たちを目にして、色々考えさせられます。
今の動きが昔と違うのは、単なる寄付や慈善事業ではなく自分の生き方に関わっていると言うことのようです。
それにしても、その昔、政治家がやたらに口にしていた「国際貢献」といういかがわしいものに比べると遙かに地道で本物ではありますね。
(追記8/23)「色々考えさせられる」というのは例えば、
「社会貢献にはまる」と言うことの裏の側面は、そもそも日本では(あるいは多くの先進国で)社会が若い力を必要としていない。ごく一部の管理者と、コンピューターやネットワークととりあえずの人手があれば足りる。第2に、日本の会社が、昔そうであったような社会のために奉仕する、あるいは公の使命を持っているというようなことがなくなり、自分の利益のみをがむしゃらに追求することが良しとされるようになり、そのような会社で働くことが自己実現にはつながらなくなった。これがマイナス要因?
何もわざわざ途上国の援助活動にはまらなくても、身近に普通に?働くことが社会のためになる、と言うのがごくごく普通のことの筈だが、これがそうではなくなっていると言うことではないでしょうか。そう言う社会で良いのか、と言うことですね。
一方、良いことをやることが誇りになる、だとしても、自分が優位である事を誇りと感じるとしたら、それは自己の利益を追求しているとも言える。その欲望をどこまでその人が厳しく自覚しているかと言うことでもある。簡単に言えば、本当に純粋?にある活動を自分のためではなく行おうとしたら、そこで得られるかもしれない陰の利得は他の場所でキチンと確保すべきである。つまり、自立的な経済活動、幸せを感じる場所としての家庭や、友人関係、趣味などをキチンと持っていれば、どこか他の活動の美名の陰でもうけようとしたり、援助活動の中で、無意識のうちに自分を認めさせようとか尊敬されようとか、愛されようとか、・・そう言う無意識の私欲を満たす必要がなくなる、あるいはその危険を減らすことが出来る。言うは易く行うは難しであるが、そう言うブレーキも必要かと。
「社会貢献」というのは素晴らしいと思うと同時に、「はまる」というのはどうなのかなという気持ちもする次第。「はまる」のは大体わなか落とし穴・・・。
>何もわざわざ途上国の援助活動にはまらなくても、身近に普通に?働くことが社会のためになる、と言うのがごくごく普通のことの筈だが、これがそうではなくなっていると言うことではないでしょうか。
はげしく同意。
投稿情報: アシストオン大杉 | 2009-08-31 13:47
確か、20年近く前、バブルがはじけ、これからは「低成長時代」と言うのが流行った時期がありました。そのころ経団連の皆さんは何を言っていたか。会社は社会的存在である、会社は社員の生き甲斐の場所であり、地域の中で貢献していかなければならないみたいなことを言ってたと思うんですね。低成長先進国のヨーロッパに学ぼうというようなことも言われた。
それはよい傾向だ、やっと大人の社会になるのか、と思っていたら、やがてグローバリズム→ネット社会→新市場主義とかなんとかでそんな話はどこへやら、そして今の種々の社会問題・・
その時々で方針?が変わるのはそんなモンかもしれませんが、もう一寸よく考えて欲しいですね。日本の経営者はその仕事のことではある意味相当優秀な?方かもしれませんが、哲学ってものがない感じ。どこかの評論家が言う流行に乗ってその時々でそれらしいことを口にするようですが、もう一寸子供でも自分の原点に忠実に自分の寄って立つべき場所と理念を考えると思います。ましてや、公にかかわることなんですから・・。ま、この所の経団連会長の顔を見てると、無理かな・・(^_^)
投稿情報: goshu | 2009-09-01 16:02