先日書道教室に久しぶりに行ったら、とても上手な男性が、私はコンピューターが苦手で、又、コンピューター教室に行かなくちゃ・・という。コンピューターなんて簡単じゃないですかと私が余計な事を言うと、驚いたようにそれは凄い、という。
近頃は年賀状でもコンピューターで書く人も多いし、とおっしゃるが、とんでもない、毛筆にかなうものはありません、と強調しておいた。そりゃそうですよね、筆は心が伝わりますよねと少し納得されたようだ。
このブログを読む人はコンピューターが苦手なんて事はないのだろうけど、私はコンピューター歴26年インターネット歴15年になる。それ以前はといえば、一生コンピューターなんか触らないだろうと思うくらい、食わず嫌いだったし、関心もなかった。私が簡単にコンピューターに慣れ親しんだ第一の理由は、キーボードに慣れていたということだと思う。高校時代は、オリンピアのタイプライターを使ってよくドイツ語を打っていた。タイプライターを使うことが面白くておもちゃ代わりにヘッセの小説をタイプで打ち直して、和訳するなんて事をしていた。
だから、コンピューターを始めようという人には、先ず2週間、ひたすらタイピングの練習をさせる。他のことは一切教えない。チェロで言えば開放弦を毎日弾くようなもの。勿論マックを買うように勧める。これはどう考えても当然(^_^)
けれど、今なら間違いなくiPadを買うように勧める。
日本のパソコン教室はおかしな事を教えているようだから(何故ワープロや表計算なんかやらなくちゃいけないのか理解できません(^_^))。コンピューター教室なんてメーカーと販売店が結託してどうやって儲けるかということだけを考えて作られたものとしか思えません。某楽器メーカーの全国展開と同じ。
全く新しいやり方がこれからは必要でしょう。コンピューターは、年賀状やクラス会の案内を書くためじゃなく、日常生活の便利のために使うものだからです。
常々思うことですが、その道の専門家という人は専門のことは分かってもそれ以外のスキルが低い事が多い。メカのことは分かってもそれを日本語で説明したりする言語能力は低い人が多いから、訳の分からないマニュアルが横行する。最近は専門のライターが書くようになってそれなりに分かりやすくなってきた。人に何かを教えようとする時その人の生活(あるいは一般の人々の暮らし、その実感)が分からなければ納得のいくように教えることは難しい。先の政権は理想は宜しくてもその表現や説明は歯がゆいくらいすこぶるへたくそだった。
しかしよく考えられたハードとソフトがあれば、もうそういう専門家のお世話になる必要はない。iPadによって一般家電製品のようにコンピューターを使える時代が近づいたようだ。
今は音声認識のソフトが進歩したから、簡単なメールやウェッブ検索などはマシンに向かって喋ればよい。だから文字入力の敷居も低くなった。あとはコンピューターを意識させないデザインや使い勝手(これはマックにかなうものはない)があれば、警戒したり緊張したりせずに次第に使い慣れていくことが出来るだろう。
歳をとって何に時間を使い心を尽くすか・・歴史と文化に触れることでしょう。年賀状は、コンピューターを使うことが目新しくてかっこよく自慢できる時代はもうおわり。これからは再び手書きの時代でしょう。勿論文字を書くことが文化である日本の伝統、毛筆が最高峰。コンピューター教室に通って年賀状をつくるなんてことは先の見えない馬鹿げた事。
このブログを読む人はコンピューターが苦手なんて事はないのだろうけど、私はコンピューター歴26年インターネット歴15年になる。それ以前はといえば、一生コンピューターなんか触らないだろうと思うくらい、食わず嫌いだったし、関心もなかった。私が簡単にコンピューターに慣れ親しんだ第一の理由は、キーボードに慣れていたということだと思う。高校時代は、オリンピアのタイプライターを使ってよくドイツ語を打っていた。タイプライターを使うことが面白くておもちゃ代わりにヘッセの小説をタイプで打ち直して、和訳するなんて事をしていた。
だから、コンピューターを始めようという人には、先ず2週間、ひたすらタイピングの練習をさせる。他のことは一切教えない。チェロで言えば開放弦を毎日弾くようなもの。勿論マックを買うように勧める。これはどう考えても当然(^_^)
けれど、今なら間違いなくiPadを買うように勧める。
日本のパソコン教室はおかしな事を教えているようだから(何故ワープロや表計算なんかやらなくちゃいけないのか理解できません(^_^))。コンピューター教室なんてメーカーと販売店が結託してどうやって儲けるかということだけを考えて作られたものとしか思えません。某楽器メーカーの全国展開と同じ。
全く新しいやり方がこれからは必要でしょう。コンピューターは、年賀状やクラス会の案内を書くためじゃなく、日常生活の便利のために使うものだからです。
常々思うことですが、その道の専門家という人は専門のことは分かってもそれ以外のスキルが低い事が多い。メカのことは分かってもそれを日本語で説明したりする言語能力は低い人が多いから、訳の分からないマニュアルが横行する。最近は専門のライターが書くようになってそれなりに分かりやすくなってきた。人に何かを教えようとする時その人の生活(あるいは一般の人々の暮らし、その実感)が分からなければ納得のいくように教えることは難しい。先の政権は理想は宜しくてもその表現や説明は歯がゆいくらいすこぶるへたくそだった。
しかしよく考えられたハードとソフトがあれば、もうそういう専門家のお世話になる必要はない。iPadによって一般家電製品のようにコンピューターを使える時代が近づいたようだ。
今は音声認識のソフトが進歩したから、簡単なメールやウェッブ検索などはマシンに向かって喋ればよい。だから文字入力の敷居も低くなった。あとはコンピューターを意識させないデザインや使い勝手(これはマックにかなうものはない)があれば、警戒したり緊張したりせずに次第に使い慣れていくことが出来るだろう。
歳をとって何に時間を使い心を尽くすか・・歴史と文化に触れることでしょう。年賀状は、コンピューターを使うことが目新しくてかっこよく自慢できる時代はもうおわり。これからは再び手書きの時代でしょう。勿論文字を書くことが文化である日本の伝統、毛筆が最高峰。コンピューター教室に通って年賀状をつくるなんてことは先の見えない馬鹿げた事。
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