3本の矢とか(三位一体改革とか、三が好きらしいけど、単に3本セットといっておけば問題ないのに)故事のあるいは重要な教義のイイカンジの単なる語呂合わせで訳のわからぬことを言ってるこの国の恥ずかしい政治家の皆さんのことはおいといて、私の三本の弓だ。三に特別の意味などない。(^_^)
左から、30数年前に買った1920作のArtuhr Tohma、2002作のWANKA、(いずれもドイツ製)そして最近の名無しの権兵衛。チェロ歴40年としては少ない方か。今考えると弾きにくい弓でずっと何も気がつかずやっていたものだ。上達するには、早い時期からよい弓を持つ方が効率的。道具は上手になってからよいものを使うのではなく、早い時期からそうする方がよい。最初が肝心。大工さんだって、若い頃から無理をしてでも上質のかんなを自分で買うことから修行が始まるという。ぼろい道具で良い仕事をする職人なんていない。職人にとって道具は手足の一部で、それを粗末にするようでは親方からどやされる。
久しぶりに3日ほど毎日バッハだけ弾いている。昨日は3時間以上弾いて、疲れた。今朝、古い弓でも弾いてみた。ベッコウ弓で練習した後だからか、前よりスムーズに弾けるようになっていた。これで十分使える(もちろん使える)と思ったが、再度新しいベッコウ弓で弾いてみた。よく、そのときは興奮して良い良いと思っていたが一晩たったら「ただの人」になってることがあるが・・・・う〜ん、全然違うぞ、これは。質量もバランスも一番軽いのに、音が豊かだし、抵抗なく、弦に逆らうことなく楽に弾ける感じ。明らかに違う。何となく良いかなではだめだ、明らかに違うのでないと。これは誰がどう聞いても明らかに違う。弾いていて楽しくなる。
改めて、バッハが独奏チェロのために曲を残してくれたことに感謝。これがあることが、チェロの大きな魅力だ。これを弾くときはほかの曲以上に貧弱な音では情けない。練習しがいがある。(なんだか当たり前のことを言ってる(^^;))
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