フランクールのソナタの第2楽章をこのところ毎日やっている。数年前に演奏したことがありそれから弾かなかったらすっかり指が動かなくなっていた。これではいけないと,忘れない程度にさらうことにしたのだ。何しろひたすら親指ポジションだ。今ではほぼ暗譜しているが,楽譜を見て弾けと言われると大変だ(^_^)
それでも数年前にやる気になったのは、だいぶ昔、倉田先生の前でこの1楽章を弾いた後、「あら、2楽章は?」とこともなげに言われ、絶対弾けません、といったら、「そう?大丈夫、弾けるわよ」とあっさり言われて,それが気になっていたからだ。(2楽章も3年ほど前に演奏して聴いていただいたが,よく挑戦したわね,というようなことだった。あれ?言ってることが・・なんかなぁ・なんかなぁ・・(^_^))
だめだ,苦手だ,全然だめ・・とか思って練習する気もしないでいても、ともかくやってみるか,と思えたのは、譜読みが分からないだけで,技術的には不可能ではないのかもしれない,譜読みというのは、何でも初見である程度弾けるという考えが間違いで、一歩づつ、1日1小節くらいでも勉強していけばいつかは弾けるだろう、と思った。こういう考えを持ったのは我ながら奇跡的に偉い,と今でも思う。これは十数年前の富士登山の成果だ。どんなに苦しくても1歩づつ休まず登れば必ず頂上に着くということを教わった。とにかく、私は,地道な努力というのが大の苦手で,これまで、努力というのをした覚えがほとんどない。ほとんどのことはすぐできてしまうので努力する暇がなかった,と思う。外から見ると努力したのだろうと思われることもあるようだが,本人としては意識的な努力はしていない。時間を掛けて取り組んだりはしていてもそれは楽しくて夢中になっているだけで努力しているわけではない。そういうこと。
ところが、このフランクールは,初めて?努力しようと考えたものだ。1音づつこれはなんの音だ,どこをどの指で押さえるのだ・・と調べながら弾いていく。その音が正しいかどうかもすぐには分からないから、1つづつ確認・・・少しやればきっと後は同じパターンですぐできるようになるだろうと思って始めたものの,そう簡単ではなかった。いったいどれくらい時間がかかったのか、ともかく半分くらいできたところでレッスンに出かけた。特にまずいところはなかったようだ、変な運指とか間違った音とかはなかったようだ。アレグロビバーチェだから、もっと速く弾けとは言われたが,当然そんなことは無理(^^;) でも先生にとってはこれが特に難しいと言うこともなく,私がどんなに苦労したかも理解できないようだった。なんと言うことだ。
それはともかく,不可能と思い込んでいても、何とかできたという経験は財産になる。アマチュアのチェロアンサンブルでも、絶対1番は弾かない弾けないといってる人が多いけれど、それぞれ,小さなソナタとか弾いていたりするのに,どうしてそう尻込みするのだろうか,絶対に弾けるはず。ほとんどは心理的なものだ。もし、本当に弾けそうもないのだったら,そこで努力すべきだ。まず一歩を踏み出さないと何も始まらない。♫じ〜んせい、ゆーーきがひーつようだぁ
このあと、ついでに技術的な曲をやりたいと申し出たら,パガニーニのモーゼ幻想曲を勧められた。楽譜を買ってみたら,フランクールと違って、そんなに難しそうではなかった、が、練習するにつれて引っかかるところがいくつも出てきた(^^;) しかし、焦らなければ絶対できると思った。音楽的に自然で弦用に作られた曲は効果的で楽しいところも多く、難しそうでもそれほどでもない(こともないが)。これよりモーツァルトのオケの方が難しい(場合もある)。いくら努力してももう間に合わない,無理という曲もあるだろうが,プロみたいに弾こうというのでなければとりあえず,弾けるようになるのがほとんどの筈。少なくとも(多少弾けなくても)楽しめるようにはなる。
私より若い多くの人は,もっと容易に先に進めるだろう。でも、できない、と決めつけては何も進まない。チェロは難しい、簡単にできることはそう多くはない、と まず理解すること。だからこそ、地道に練習するしかないし,できないことに挑戦してできるようにしよう。努力しない人は,チェロは簡単なはずだと思っているのかもしれない。簡単なことができないのは恥ずかしいとでも思っているのだろうか。そうじゃなくて,できないと尻込みしている自分を否定すること。チェロは難しい,音程をとり音を作る弦楽器は本当に難しい,プロだっていつでもそれと戦っているし、楽にできるように工夫したりしている。難しいからできなくて当たり前。それを承知で気楽に挑戦しよう。できそうもないことをやることに価値がある。できないからやらない、は、理屈が通らない。
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