最近よく聴いているバッハのいわゆる「ゴールドベルク変奏曲」は、グレングールドの名演で有名だが、そもそもは「練習曲集第4部」として出版された。ショパンにも「練習曲」があるけれど、これが何で「練習」曲なのか。どういう意味なのか。
どうやら、すべてではないけれど練習曲というもののなかには、子供や弟子のために書かれた本来の練習曲の他に、宮廷や教会で演奏されることを想定せず自分でプライベートに楽しむ音楽という位置づけの物があるらしい。そう思うと、なんだかとても好ましい(^_^) 音楽は人に聴かせてなんぼだ、と言う考えもあるが、これが音楽家の表の顔とすれば、それに反して、ブラームスの晩年の小品など孤独な人生の同伴者としての音楽という性格の物もあるだろう。(そしてそれは市場価値と関係が無い)
表現というのは内なる物が外に向かって開かれるということだが、アマチュアにとっては、自分が楽しむことが第一で、他人にどうのこうのする立場じゃない。その楽しみの中身が問題で、それこそ人それぞれ。私みたいに歳をとってくると、人に聴かせようなんて気は薄くなる。歳をとると電車で席を譲られることが増えるだろうが、生活上は人に席を譲ることが増える。自己表現欲がなくなればそもそも演奏もできないことになるだろうけど、表現することの中身が変わってくる、表現の舞台・相手が変わってくると言うことか・・。音楽はメッセージだと思うが、本当に届けたい受け取りたいのは誰なのか。
突然、昔グラシェラ・スサーナというアルゼンチンの歌手が歌っていた曲を思い出した。この連想にも何か意味があるだろうから、関係ないけど紹介する。
アルゼンチンのギタリスト・歌手のユパンキという人の歌だ。「牛車に揺られて」というタイトル。俺の牛車は、軸がギーギー音を立てる、けれど、それを消そうとは思わない、俺はおまえの音が好きだ、(孤独を癒やすのはそのきしみ音だけだから)、果てしない路をおまえと共に行く、・・と言うような内容。
日本語に翻訳して歌っているYouTubeを見つけた。ユパンキ自身の演奏もYouTubeにあった。
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