「倉田澄子・宮田大 師弟対談」と言う記事に関心があり、普段目を向けない雑誌「サラサーテ56号」をネット購入。メイン記事の1つが、カザルスの「鳥の歌」についての特集だ。中でも、岩崎恍さんの言っていることが一番ピンと来た。その昔、岩崎さんはカザルス没後1年目のテレビ番組(山本直純・オーケストラがやってきた)に出演して、カザルスの思い出を語り、直純さんから、「では鳥の歌を弾いてください」と言われ、「それは弾けません」と答えたのが印象的だった。
彼が語るとおり、鳥の歌はぬるま湯のような「平和の歌」ではなく、祖国を出ざるを得なかったカザルスの
「望郷」の思いの詰まった曲だ。
岩崎恍さんが語っているが、元々の鳥の歌の歌詞は、一度巣立った鳥は二度と巣には戻れない、と言う内容だそうだ。平和への思いは、戦争によって(具体的にはナチスの支援を受けたフランコ政権によって祖国カタロニアが蹂躙され、未だにスペインの支配下にある)失われた祖国が平和によって元に戻るべきだからだ。この際,ついでに言っておくと(またか(^^;))、96才での国連でのスピーチと演奏でこの曲は世界中に感銘を与え,ポピュラーになったようだが、カタルーニャの空を鳥はピースピースと飛ぶと言ったことから、その言葉の後半だけ取り上げて平和を希求する曲みたいに言われているが、そうではない。スピーチの前半で語っているのは郷土・祖国カタルーニャへの熱い思いだ。固有の言語・文化を持ち平和を愛する祖国を武力によって蹂躙した独裁者たちと、悲痛な訴えを無視し,裏切った諸外国に対する抗議が込められている。勿論、そうでなくても不正や不道徳には敏感だったからいろいろな意味で平和への気持ちは強かったろう。戦争は人権侵害の最たるものだから、平和を守ると言うことは人権を守ると言うことだ。人権意識が乏しくて平和を守るなどと言うのは意味が無い。それが国際アムネスティの根幹だし、小さな人権侵害を放置することでやがては戦争に至ると言うことが教訓だ。品格を欠いたNHK会長を選任したアベ政権のようなノータリンの暴走によって戦争への道をばく進しないように祈るばかりだ。話がそれた・・(^^;)
数年前、カザルス巡礼の旅?に出たとき、カタルーニャの首都であるバルセロナで聞いた話では、スペイン人はアメリカ人が嫌いだが、カタロニア人は、スペインが一番嫌い。アルハンブラ宮殿のパラドールに滞在して最初の夕食の時、レストランで、注文しようとしたら、ウエイトレスがなにやらスペイン語をまくし立てる、英語で尋ねても無視され、なんとかスペイン語で答えるとそれで宜しいとばかり頷いて、聞いてくれた。逆に、サンサルバドルのカザルス博物館に行ったあとタクシーでエルサルバドルの旧市街に行こうとして間違って新市街に行ってしまい、雨の中、道に迷って、通りかかった小学生に、せっかく覚えたスペイン語で尋ねたのに、ちっとも聞いてくれなかった、カタルーニャ語で聞かなければいけなかったらしい(^_^)
「鳥の歌」はカザルスの曲である。哀愁を帯びた旋律は日本人好みだが、素敵とかきれいとか言うだけで、普通に演奏するのは気が引ける。ヨーロッパ人はあれはカザルスの歌だと言うことで、レパートリーには入れないらしい。それはそれで、美しい曲だから弾いても良いとは思うが、私はぴんとこない。演奏を聴くと、あなたにその曲を弾く資格があるのか、とついやっぱりどこかで問うてしまう。
時として、鎮魂の意味を込めて鳥の歌が演奏されることがある、で、私は、こういうときは演奏後の拍手は控えるべきだ、祈りに拍手は無用だ、それぞれの人が一人一人心の中で祈れば良いと思うが、ただのアンコール曲みたいに拍手が起こる。だから、私は演奏会に行くのを好まない。音楽にはいろいろなものがあるから、大勢で聞いてこそ価値があるもの、大勢いても独りで聴くべきものがあるだろう、と思う。プラドのカザルス音楽祭は、サンミッシェル修道院の教会で行われたが、演奏後の拍手は禁止されていて、最後の最後だけ許可が出て、割れんばかりの拍手が続いたと言われている。習慣で無闇に拍手するもんじゃない。
それはさておき、私が数年前に制作販売している、佐藤光演奏の無伴奏チェロ組曲のCDは、この修道院の入り口の写真を使っている。洞窟のようなこの路を通って中に入り、バッハの世界に浸るというイメージだ。
気がつかない人も多いが、このCDの意匠には工夫があって、ケースの裏側に、暗い空に飛ぶ1羽の鳥の写真を使っている。ついでに言うと、鳥は良心の象徴である。あなたの心の中の鳥、と言ったらそれは良心のことだ。で、本文の中の演奏者がそちらを見ているように作られている。写真はすべて、画家・いせひでこさんの娘さんの撮り下ろしで私が(許可を得て)手を加えたものである。本文のエッセイは柳田邦男さんに書いていただいた。(ちょっとPR(^_^))
余計なことついでに書いておくと、興味の無い人にはなんだか分からない話で恐縮だが、カザルスは、生前、沢山の録音をしているが、唯一同じ曲を若い頃から3回も録音しているのがある。(その昔、佐藤良雄先生と一緒にカザルスの完璧なディスコフラフィの入った5枚組のレコードをアメリカから輸入したことがありそれで分かる)それは、タルティーニのチェロ協奏曲の第3楽章グラーベだ。(で、一番古い録音は小樽のレコード屋で偶然輸入盤を見つけて購入した。ちなみに、カザルスがモンセラ修道院の聖歌隊のために作曲した合唱曲のレコードもあり貴重盤だ)。これは、鳥の歌と、構成も内容もそっくりだから、私は鳥の歌は遠慮してこちらをよく弾いてみる。カザルスはこういう曲が大好きだったのだろうと思う。元々そういうことがあって、カタルーニャの古い歌の中に同種のものを発見してそちらを弾くようになったのではないかと推測する。ちなみにこのタルティーニの協奏曲は、カザルスの弟子であった故佐藤良雄先生から、レッスンを受けた。特に第1楽章の出だしは生命力の溢れる音になるまで何度も何度も弾かされた。グラーベのオクターブ音が上行する部分もカザルスはこう弾いたと直伝であり、懐かしい想い出だ。全曲を暗譜して弾くように言われていたが、その前に突然先生は逝去された。と言うわけで?、このグラーヴェは私の宝物のような曲だ。・・ってまた話がそれてる(^^;) ともかく、この曲は、鳥の歌と変わらないと思うので、これがちゃんと弾ければ鳥の歌の代用になる?鳥の歌は本当に特別の時のためにとっておいて、こっちを弾くようにしてはどうでしょう。??
協奏曲はリコルディ社から出版されているが、このグラーヴェだけなら、音楽之友社から出ているチェロ小品集の中に収録されている。この小品集はカザルス愛想曲集のような選曲なので、買って損はないものだと思う。 (今風のチェロ小品集にはこれらの曲は入っていない)
ところで、歳はとりたくないものだが、「鳥の歌」については、数年前にこのブログに記事を書いていた。同じ事を何度も繰り返すな、だ(^^;)
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