私は高校時代から趣味の人と言われてきた。私はそんな気はなかったが、多分、学生の本分である勉学以外のいろんな事柄にうるさいことを言っていたのだろう。就職するときも、何処に住むかが最優先で職場は二の次で、あきれられた(^^;) で、北海道に移住したのだった。それから、八王子に移転したが、畑を借りたり作ったり楽しみはしたが、住んで良いところではなかったので、山中湖に引っ越した。しかし、山中湖も歳をとってきたらやはり住む楽しみは少なくなった。
何処に住んでどのように暮らすのかは、とても大切なことで、仕事より大切だと思っている。仕事が生きがいである(それが本当なら幸せなことだ)と言うことはなく、やりがいはそれ相応にあるし楽しみでもあるが生きがいかと言われると違うと思う。大切なことは生きがいがある、生命の充実感がある、と言うことで、それによって、「本末転倒」のあり方が変わる。仕事が忙しくてチェロの練習ができない、と言う場合、仕事が生きがいでチェロは二の次なら、これで結構。だが、本当はチェロが生きがいで、仕事はそのための手段なら、チェロが弾けないなどと言うのは本末転倒だ(^_^)。笑い事ではなく、あっという間に人生は終わる。どこかで線を引く事もありうるし、チェロのために青年退職?した人も知っている。昔、北海道で組んでいたバイオリン弾きは、国鉄職員だったが、音楽第一だったので、出世を望まず、音楽仲間から離れるような転勤を拒否し、どうしても断れないとなるや、国鉄を退職した。普通に考えれば本末転倒だが、私から見ればあり得る話だ。
けれど、歳をとり病気になったり怪我をしたり、衰弱したりして、音楽なんかできなくなる日も来る。
大切なことは、ある特定の道具や方法に頼るのではなく、日々どういう気持ちで暮らすか、と言うこと。暮らしが大切だ。仕事じゃない(趣味でもない)。少なくとも定年のある「仕事」は暮らしの中の、生活の中の一部だ。そのことは、よほどの才能がある人とか、能力のある人は別として、歳をとってくれば誰でも分かる話だし、それ以外にはない事も後になって分かるだろう。後になって気がつくか、先に気がついてその準備をするかだけの話。その大切なことについて、仕事でも趣味でも良いし、何でも良いし、何もなくても良いが、自分のすることがどれだけ関係しているかが問題だ。どういう気持ちで暮らすかなんて、なんてことでもないじゃないか、というのは間違いで、どんなことにも訓練・修練が必要で、簡単に人生の達人にはなれない。良いボーイングのためには力を抜くことが肝心だというのは簡単な話で誰でも知っている、簡単そうでこれが難しいのが事実だ。たかがボーイングでも難しいのだから、生きる姿勢とかになったら簡単にはいえない。
フランクルの有名な「夜と霧」(アウシュビッツでの体験記)に書かれていることだが、その過酷な環境の中で、人はまだ、自分の人生に態度をとることができる。自由は全くないが、どんな態度をとるかの自由は残されている。・・と言う下りがある。勿論これは気づきであって、客観的にどうのと言う話ではない。「縁無き衆生」もいて当然。これが簡単じゃないと言うことだ。人はいつでも縁無き衆生になる。気づかないまま虚空に放り出されてしまう。沢山の事に気づいて暮らしていくことは難しい。何も気づかないで仕事に没頭している方が簡単だともいえる。
たとえ、病院のベッドで横になっているだけだとしても、どういう気持ちで過ごすか、人とどう関わるのか、いつでもできることがある。歳をとってきたら、今、どういう気持ちで過ごし、自分や世界に対してどういう態度をとるかがすべてだ。それがそれまでの人生を物語っているのだと思う。そうであれば、病院のベッドで横になる前に、やるべき事がある。
私の母は、歳をとってからリウマチに悩まされた。指は変形し箸を持つこともおぼつかない、日常生活にも不便を来していたが、いつも笑顔を絶やさず、ぐちを言うこともなかった。生来楽天的で、いつも明るく穏やかで、人の悪口を言うことは決して無かった。いつも自分のことより他の人の心配をしていた。亡くなってから次第に分かったこと、というか母に学ぶべき事があると思ったのは、人のとる態度、自分や周りの人にとる態度、生きる姿勢、落ち着いて幸せに生きるというのは、それだけで何にも代えがたい教えであり、慰めであると言うことだ。社会的業績やら貢献とかいう大げさなものがあろうと無かろうと何でもないものだ。
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