久しぶりに教室に出かけてみた。90過ぎの老先生はお変わりなく元気だ。早速添削していただくが、筆が違うのではないかと、毎回思うのだが、私と同じ1本3000円の筆だ。なんだかとても柔らかくしなやかで別物だ。今は白楽天の詩を5文字づつ習っている。他の生徒さんは(生徒と言ってもほとんど師範)仮名だの臨書だの、沢山の種類を書いて来られるが、私には無縁である。
嬉しいことに、今日は、年末が近いせいか何故か写経の教材が配られた。1度はやってみたかったので嬉しい。聞くところによると、京都西芳寺では、写経をしないと庭の拝観ができないとか・・良いことだ。
般若心経だ。ところで、読経とは漢文になったものを音読する、これでは意味が分からないではないか、と思うのだが、何遍も唱えていると「意自ずから通ず」と言うことになるらしい、摩訶不思議で、これもスピードラーニングか・・しかし、言葉の魔力というのは常識を越えたものがあると言うことは私は納得できる。人間が何かを悟る、覚知すると言うことは、不思議な体験だ。
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