私は6才の頃から原宿に住んでいたので,小学校(神宮前小学校、勿論木造で当時都内で2番目にぼろいと言われていた)の頃、明治神宮は絵を描きに行ったりドングリ拾いをしたりの遊び場だった。
秋になると鳥居から本殿に向かう参道の両側の林を歩いてドングリを拾った。探していたのは,椎の実である。いわゆる普通のドングリは薄茶色で丸っこいが、椎の実は黒くて小さく先がとがっている。未だにこんな事を覚えているのは当時目を皿のようにして探していたからだろう。椎の実は,少ししか見つからないが,これを焼いて食べるとおいしい。普通のドングリは食べると馬鹿になるといわれていた(^_^)
明治神宮は,小学校の頃学校のキャンプでテント生活(カレーライスを作ったり花火で遊んだ)をしたこともあるし、大人になってからはデートコースだったり、懐かしい場所だ。この木鈴をみてわぁーっと思い出した。
「木霊(こだま)」と命名されたこの木鈴、したたり落ちる木の雫の形をしている。そうそう小学校の校歌の歌詞も「明治の帝(みかど)とこしえに,鎮まりませる大宮の、森の緑のみ恵を,したたり受けし我らあり」だ(^_^)
私は古いものが好きだ。人間の記憶の奥に潜む歴史がその人を作り育てていると思う。DNAが人間の物理的組織を作っているとすれば、人の心をはぐくむのは,幼少期、そのずっと前からの文化や歴史、人の暮らし,周囲の愛情等々の記憶の堆積である。それを失うことが一番悲しい事、それを奪うことはもっとも憎むべき事である。「こころのうぶ毛」を傷つけたりそり落とすことは決してしてはならない。それは物理的命より大切だと思う。
ところで、ペンションセロのマーク 昔のものと今のもの。
30年前:木の精がチェロを弾いているもの
こっちが最近のもの
in silvis viva silui, canora iam mortua cano.
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