62年前に原宿に建てた家は、数回改築増築をしたが、最初から最後まで残したのが玄関前の八畳間の客間である。最後に全面改築したときもこの部屋は屋根も含め丸ごと家の中に取り込んだので、ひさしが部屋の中ででていてまるで旅館か料亭のようだった(^_^)。幼い頃に単身上京して丁稚奉公からたたき上げた父の一世一代の夢を叶えるべく、大工さんたちには家紋の入ったそろいのはっぴを新調して、無節総檜の材木は、棟梁とともに吉野まで見に行って吟味したという懲りようだから、大工さんたちも大いに張り切って腕を振るった。だから、今ではもう作ることもできないものに溢れている。日本庭園に面したその部屋は、子供たちにとっては特別の部屋で、お客さんが泊まる以外、正月と祝儀不祝儀以外には使わない所だった。
近代的なモダン住宅やマンションに住む兄弟は、惜しいと思いながらも使えない建具、私が代表して引き取って少しづつ大工さんと相談しながら我が家に取り込んでいる。今回で最後になるだろう。杉の一枚板の戸板は、何も知らなければ、今では入手できない模様ガラスの入った立派なもので食器棚の扉に使うとかするところだが、実は厠の戸だったから、何となく使いにくい(^_^) あと、床の間の板も立派なので、玄関の靴箱に利用しようかと考えている。銅製の照明器具など、今時使える家はなさそうだが、使えなければ沢山のふすまや残りの建具共々うちの親しいお客さんの浅草「東京蛍堂」に寄付しようかと思っている。
音楽も建具も、沢山の人の思いの詰まったものだ、それを知ることも味わうこともなく、ただ外見だけ美しくかっこよく演奏したり、捨ててしまったりしてはいけないなぁ。
コメント