2階の窓いっぱいに咲くのは皇帝ダリア。今が,満開、他の草花が消えたこの時期に咲くのが貴重。
それにしても今年の紅葉は近年になく綺麗で、辺りの山も今まで見たことのないような景色。あちこちで色づいた葉が見られる。急に寒くなった影響か・・。
昨日、京都の骨董屋で購入した家具が届いた。虎斑の見事な食器棚だ。生地のままだとハッキリ分からないが,塗装すると繊維の硬いところに塗料が入らないので、斑が浮き出て見える。かなり傷んでいたものを丁寧に修復してある。これを見ていると,私の古い楽器と同じだなぁ、と思う。痛々しいほどの姿とも言えるが,何ともいえない味がある。沢山の人の手を経て大切にされたものを使わせていただくのは,歴史を引き継ぐような喜びがある。人の命は短いが,絵でも音楽でも,こうした「もの」でも,それに寄り添って命を少しだけ膨らませるような,ちょっと何か大切なもの、永遠なるものに触れられるような気がするものだ。この部屋には、捨てられる運命にあった,亡き両親の使っていたもの、食器や建具が沢山現役として使われている。昔の家は,今のように汎用のドアだの棚だのがあるわけでなく、全て、その人とその家のための特注品だ。父が家を建てるとき,その材を探しに吉野の山まで大工さんと行ったらしい。大工さんたちには家紋の入ったそろいの半被を用意して,家を建てた。だから、父も気合いが入っていたが職人さんたちも気持ちを込めて家を建てた。これらのものは全て心の証だ。それを捨ててしまうなんて、できない。
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