今日は、来年5月のの定演に向けて最初の譜読み練習。ロッシーニの「絹のはしご」とモーツァルトの交響曲第40番。(後はハイドンの100番を予定)
モーツァルト、最初はチェロのGから始まる。全てはこの1音から始まる、柔らかく深い音色を探る・・
昔、小林秀雄の「モーツァルト」を読んだ。心斎橋辺りをうろついているとき突然頭の中にこの曲の第4楽章が鳴ったという。「疾走する悲しみ」と言う言葉が印象深かった。どこかでは聴いていたこの曲をチャンとレコードを買って聴いたのはその後だ。ベームの指揮、・・それから大分たってからカザルス指揮の練習風景の音源と演奏レコードを聴いた。冒頭部分を何度も弾き直させていた。なんとなく同じ事を3回繰り返すのではない「ためらいながら」始まる・・ゾクゾクするような演奏だ。「ぼーっと生きてんじゃねぇよ!」・・・かぁ
この演奏がとても強く印象に残っているので、練習とは言え,自分たちの演奏が情けない(;;) あと5ヶ月、どれほどの演奏が出来るようになっているだろうか,楽しみでもある。
もう1つ所属している弦楽アンサンブルは、おなじく来年5月が演奏会、で、バッハの管弦楽組曲第一番をやる。これもカザルスの指揮のリハーサル風景の録音があり、出だしだけ何度も何度も練習していた。カザルスの指揮はロマン的すぎるという批判が当然あるが、カザルスが口を酸っぱくしてオーケストラに求めるのは、命のある音楽だ。私はカザルスの弟子であった佐藤良雄先生に手ほどきを受けたが、カザルスはこう言ったと指導されたのは,もっと生命力のある演奏ということ。私自身はそもそも生命力、生きんとする意思が弱いから,そういうことは難しいのだが(^^;)、それでも理解は出来る。単に暇つぶしのための音楽(そういう音楽もある)でなければ,演奏するに値し傾聴するに値する音楽とはそういうものだろう。
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