若宮大路沿いの「鎌万」で野菜と魚を購入。すると、おまけで水仙の花をたくさんくれた。この店時々そういうプレゼントがある。甘い香りが漂い,なんだかとても懐かしい気持ちがする。思い出せないが,いつか昔こんな匂いを嗅いだことがあるのだろう・・・。
外に出てみたら、川沿いに植えた水仙も1つ花を付けていた。気が付くとマンリョウも赤い実を沢山付けていた。
気をつけないと目の前にあっても意識に上らない事というのはとても多いのだろう。何もない,のではなく、何も気が付かない。忙しい忙しいと言って目の前のことだけに夢中になっている人は,沢山のものを踏み蹴散らしていることだろう。何のためにそういう「忙しい」生活をしているのか分からないが、日常生活の中に,見慣れた風景の中に,沢山の事がある。それが分かれば分かるだけ豊かな生活になる・・って日本映画だなぁ・・
気をつけないと目の前にあっても意識に上らない事というのはとても多いのだろう。何もない,のではなく、何も気が付かない。忙しい忙しいと言って目の前のことだけに夢中になっている人は,沢山のものを踏み蹴散らしていることだろう。何のためにそういう「忙しい」生活をしているのか分からないが、日常生活の中に,見慣れた風景の中に,沢山の事がある。それが分かれば分かるだけ豊かな生活になる・・って日本映画だなぁ・・
ところで、人間の嗅覚とか触覚とかは原始的な深い感覚で,聴覚、視覚よりももっと以前にあるものだと思う。人がモノの形体より質感に敏感に反応すると言うのが,私の大学の卒論「不安が視覚に与える影響に関する実験的研究」だった(^_^) 。まぁ研究と言ったって大学の卒論だから,科学論文の書き方が形になっていればOKと言う類いのモノ。
しかし、ともかく、匂いは記憶の深い所で体験と結びついている気がする。何故か分からないが懐かしいこの香り・・チカゴロは視覚刺激ばかりが優先されて体験の持つ原始的な感覚が薄くなっている。それは、人の記憶(=意識)の底が浅いと言うことになるのではないだろうか。
コメント