最初はあんまり本気でなかったのだが、プラドは無理でも、バルセロナのいくつか、せめて「カザルス博物館」には行っておかないと、一応調べ始めた。今から、カザルス縁の地を訪ねて戻ってくるまで(戻れれば)の事を少しづつ、メモして行くことにします。
さて、一般的な旅行とは違うので、ガイドというものは全くない。最初にお断りしておくと、私は、スペイン語、英語、フランス語も殆ど全く喋れない。英語ならまだしも、これから行こうという所は、スペイン語かフランス語しか通じないらしい。だから、始めに調べておかないと、行くこともおぼつかない、行っても帰れるかどうか分からない。しかし、こういう人が見たこと聞いたことをまとめておけば、(ごく一部の人の)役に立つガイドになるだろう。
カザルスの足跡、と言う事になると、これまでまともに調べたことはないので、スペイン、カタロニア、ベンドレル、バルセロナ、マドリード、パリ、プラド、・・という地名がぽつぽつっと浮かぶ程度。
軍事独裁政権に追われ辿り着いた亡命の地プラド(独裁政権を認めた国では演奏しないと宣言したため、やがて世界中からカザルスを慕う名だたる音楽家がプラドに集まって音楽祭を開いた事で有名)には私の知りあいが何人か訪ねている。才能教育のバイオリンの青木先生、画家の伊勢英子さん、パリ管の佐藤光さん・・・プラドはどうやっていくんだ、と聞こうと思って電話したが通じない。あれれ、とりあえず、パリの佐藤さんとはメールで連絡をしてパリで会う約束をした。これで、必要なフランス語を書いてもらって、カタカナフランス語を使えるかも・・必要な、黄門印籠カードは「プラドに行きたい」「バルセロナに行きたい」「切符が買いたい」「カザルスの住んでいた家はどこだ」「カザルスの好きだった漁師風パエリアが食べたい」・・・
伊勢さんは、かつて「カザルスへの旅」と言う本を出版してるくらいだから、地図くらいついてるだろうと読み返してみると、これはガイドではない。伊勢さんの心の旅であって、旅行の役に立たない(^^) カザルスの生地ベンドレルでサンサルバドル、サンサルバドルとわめいてタクシーに乗せてもらったようだが、私も同じ運命になるのだろうか・・・伊勢さんによれば、プラドは片言のフランス語で何とかいけたが、サンサルバドルは全然言葉が通じないと書いている。・・ちょっと待て、プラドに行った人は皆フランス語が喋れる人ばかりではないか・・またまた不安の再確認
プラドは南フランスの山の中、バルセロナからは列車で3時間でペルピニアン、そこから乗り換えて約50分でプラド。片田舎だ。朝、8時に出て戻ってくるのは夜の9時。う〜ん キジョウノクウロンだ。
ひょっとしたら、とカザルス孫弟子仲間(佐藤良雄門下)のTさんにも電話してみる。でも、プラドに行ったことはない、と言う。この人は、挨拶が「もうかりまっか」ではなく「チェロさらってますか?」と言う人だが、プラドに行こうかどうしようか迷ってると話すと、言下に「余計なことだけどさ、旅行の目的は何なの!」とずばっと来る。う〜ん、相談したのが間違いだった。いやぁ、これで行ったらホームページにガイドが書けますね「書ける書ける」、パリで光さんと会うんです「じゃぁ、簡単じゃない。カタカナ教えてもらえば」。そんなんでいいのかなぁ・・「ところで、いつ戻るの」12日かなぁ「じゃぁ、その辺で生存確認すればいいわけね」そうですね
そうですね、じゃないよ! ・・・なんだかんだでそそのかされ、本格的に行くことにした。
まず、関連書籍を調べて、カザルス関連のスポットを洗い出すことにした。読んでいるうちに若い頃のことを思い出す。
実は、私は、昔、夢で見た人が3人いる。カザルス、ヘルマンヘッセ、谷崎潤一郎だ。もっとも谷崎文学なんて読んだこともないので
意味が分からない。カザルスは、2場面の豪華版だ。プラドのカザルスの家の近くで、カザルスが散歩に出るのを待っている場面、遠くにカニグー山が見える、家の前をうろうろするが出てこない、いきなり画面が変わってプエルトリコのホテルの大広間、沢山の人がいる、すると、舞台にカザルスが現れる、振り返ってみようとした所で目が覚めた。ヘッセの家にも行った事があるが、留守だった・・。と言うわけで、夢だって会ったことはないのだ。
バルセロナの、カザルスがチェロを学びながらアルバイトに通ったカフェ、ここでの演奏が評判になりアルベニスと運命的な出会いがある。その通りの名前が1冊の本に出ていた。ここには行ってみたい。まだ、あるだろうか。カザルスがバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜を見つけたバルセロナの本屋も知りたい。・・・
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