富士山頂付近に降った雪が溶けてこの岩盤を通ってうちに来るまで最低でも80年〜120年といわれている。年間通して6度の冷たい水。10年ほど前に地下に設置したポンプを交換のため引き上げたが、ゴミもヌメリも全くなく、ステンレスは新品のようにぴかぴかだった。富士山の東山麓では多分うちが一番上に位置するハズ(ここより上で井戸を掘っている民家はない)で、富士山の水として売っているメーカはうちより遙か下流でくみ上げている。ま うちの余りで商売しているわけだ。水はいくら使ってもただだから洗車や庭の水まきなどペットボトル何十本分のもの水を遠慮会釈なく使っているわけだ。(これくらいしか自慢することがないとも言える)
何がよいって、そうめんやそばが冷たい水ですすげるのできりりと引き締まって美味しい。都会のビルの蕎麦屋なんて食べる気がしない。
都会は水と空気が宜しくない。体調が崩れても当然だろうという気がする。水と空気だけは、ここは素晴らしい。クーラーも扇風機もいらない、夏は天国。
何がよいって、そうめんやそばが冷たい水ですすげるのできりりと引き締まって美味しい。都会のビルの蕎麦屋なんて食べる気がしない。
都会は水と空気が宜しくない。体調が崩れても当然だろうという気がする。水と空気だけは、ここは素晴らしい。クーラーも扇風機もいらない、夏は天国。
ところで、そんな良い環境ならチェロが思い切り弾けますね、とよく言われるが、残念ながらそういうわけにはいかない。何もストレスなく快適だったら人は何もしない。涼しい風が吹いて気持ちよくうとうとするくらいが関の山で、何故わざわざ疲れたり面倒なことをするだろうか・・大体、人は何か欠乏症になっている時でないと頑張って何かをしようとは思わないものらしい。夏忙しく休憩もろくに取れないような時に限って本を読みたくなり音楽を聴きたくなったりする。・・まぁなんだかだといって練習したがらないわけだ(^^;)
昔田舎に行って、毎日美味しい水と美味しい空気をいただいて生活している時は、それは当たり前すぎて、美味しいという事に気付きもしませんでした。
都会に戻ってヘドロのような空気と臭い水を口にして、愕然としたことがあります。
当たり前のことにしっかりと目を向けて、感謝を忘れないようにしなくては…と、気付かせてもらったように思います。
ああ!美味しい水と空気が恋しいです!!
投稿情報: しるくら | 2010-07-17 19:30
しるくらさん
そうそう、あと都会にないのは「静けさ」ですね。どこに行っても色んな音が聞こえてくる、電車の中でもホームでも、絶え間なく・・あんなに案内や注意が必要かと思うほど。きっと不親切だの、どうのこうのという人がいたのでしょう。それで責任逃れでどんどん増えていって減ることはないという役所仕事みたいなものなんでしょう。
そして、物理的な騒音もさることながら人間の休む間もない病的な活動?絶えず何かに反応し四六時中携帯電話にしがみつき、時に「ワタシ的には」などと意見を述べ自分を表に出したがる、用もないことを「つぶやき」、ちっとも静かにしていない。一方で絶えずマスコミなどどこかから垂れ流される情報、指示、扇動などに晒され、常に他者に操作されている。電車の注意放送をはじめとして自分の安全でさえ他者に依存する。そういうことにならされると、そういう声を聞こうとする習性が身につき、「一人で」「静かに」していることが不安で仕方ないらしい。社会全体が慢性的なノイローゼ状態。
トルトゥリエは、人間には、4つのSが必要だ、孤独(Solitude)、沈黙(Silence)、精神(Spirit)、あとなんだっけ?・・といっていたのですが、確かに現代人には欠けている。
投稿情報: goshu | 2010-07-17 21:19